最近流行の石田三成
石田三成を調べてみた
こんにちは。とよひろです。
さて今回は最近滋賀県のCMで有名の石田三成を調べてみました。
イチゴロクゼロ滋賀県生まれ♪
そして小性として羽柴秀吉(豊臣秀吉)に兄と父と共に仕えました。
(ちなみに羽柴という字ですが、織田家家臣の丹羽長秀の羽、柴田勝家の柴の2文字をとっています。)
まあ織田コーポレーションの子会社の羽柴商店に就職したといったとこですかね。
三成偉くなる
秀吉の中国攻め(毛利家を攻めた。中国大返しが有名かな?)に付き添ったり、
小牧長久手の戦いにも付き添っています。
そして秀吉が関白となると従五位下の位である治部少輔となります。
さらに土地を4万石分もらいます。
このとき有名なお話が、島左近という強い武将に仲間になってもらうために土地の半分をあげたという話があります。
要するに資産の半分をあげてまでも味方するということです。
秀吉もこれを聞いて驚き、賞賛をしたそうです。
で四国(長宗我部)、九州(島津)を平定します。
次に最後に残る北条家を倒しにいきます。
俗にいう小田原平定です。
三成は忍城を攻めろ!と命令されます。
もしかしたら見た人もいるかもしれませんが「のぼうの城」という映画もやっていました。面白かったですよ。
三成が水攻めをして失敗するっていうやつです。
まあ三成の戦があまりうまくないことがわかった一戦ですね。
で朝鮮出兵(一回目)にもいきます。
佐和山の土地をもらいます。
三成にすぎたるものは2つあり。
1つは島左近を召し抱えていること。
もう一つは佐和山城を持っていること。
という言葉が残っています。(簡単にしています。)
それほど立派なお城を与えられるほど信頼されていたということでしょう。
で2回目の朝鮮出兵へ行きます。
途中で秀吉の体調が悪くなります。
そして三成は秀吉の死の間際に5奉行の一人となります。
(政治の中心的人物たち)
秀吉が死にます。
徳川家康が豊臣家に戦いを吹っかけます。
天下分け目の戦い
関ヶ原の合戦がとうとう始まります。
関ヶ原の戦いについてはまた後日にします。
それでは。